大判例

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東京地方裁判所 平成元年(ワ)17241号 判決

原告

佐山孝義

佐山治子

右二名訴訟代理人弁護士

田中薫

角田由紀子

被告

高橋治

右訴訟代理人弁護士

鴨田哲郎

大熊政一

笹岡峰夫

中野麻美

鶴田晃三

被告

株式会社講談社

右代表者代表取締役

野間佐和子

右訴訟代理人弁護士

金住則行

加藤朔郎

右訴訟復代理人弁護士

渡邉彰悟

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  請求

1  被告らは、小説「名もなき道を」の出版発行を中止せよ。

2  被告らは、共同して、原告らに対し、被告らの費用をもって、別紙1記載の謝罪抗告を、株式会社朝日新聞社(東京本社)の発行の朝日新聞、株式会社毎日新聞社(東京本社)発行の毎日新聞、株式会社読売新聞社(東京本社)発行の読売新聞、株式会社静岡新聞社(静岡本社)発行の静岡新聞の各朝刊全国版社会面に、見出し、記名及び宛名は各一四ポイント活字をもって、その余の部分は各八ポイント活字をもって、各一回宛掲載せよ。

3  被告らは各自、原告らそれぞれに対し、金五〇〇万円及びこれに対する平成二年一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告佐山孝義(以下「原告孝義」という。)は、「韮山医院」の名称をもって医院を開業している医師であり、原告佐山治子(以下「原告治子」という。)は、原告孝義の妻である。

(二) 被告高橋治(以下「被告高橋」という。)は、小説家であり、昭和五九年一一月一一日から高知新聞に「名もなき道を」と題する小説(以下「本件小説」という。)を連載執筆した後、被告株式会社講談社(以下「被告講談社」という。)に本件小説を単行本として出版することを許諾し、昭和六三年五月一八日以降、版を重ねて刊行している。

(三) 被告講談社は、雑誌及び書籍の出版等を目的とする株式会社で、前項のとおり、本件小説の単行本を出版発売し、本件訴訟提起当時既に第八刷を発行しているものである。

2  本件小説のモデル小説性

(一) 本件小説の主人公である槙山光太郎は、原告治子の実兄である亡水口啓をモデルとする人物であり、原告らはその弟夫婦武部保雄・万里子として描かれている。そして、本件小説の登場人物は、主人公槙山光太郎の恋人とされる苑子を除いては、別紙2のとおり、原告らを含めて、そのほとんどが実在の人物をモデルとして描かれており、本件小説中の地名や場所も、「韮山」を「夕菅」と、「小坂」を「小谷地」とそれぞれ変えているほかは、三島・大仁・沼津・金沢・四高・仙台・東北大・龍澤寺・修善寺等すべて実名である。

そのため、本件小説は、主な地名である「夕菅」を「韮山」と読み換え、登場人物の槙山光太郎を水口啓、武部保雄・万里子を原告らと読み換えることによって、これを読む読者に、原告らの実名を挙げた場合と異ならない印象を与えるものであり、いわゆる「モデル小説」にほかならない。

すなわち、モデル小説とは、あえて探索考証しなくても実在の人間を少しでも知る者にはモデルが誰であるか一読して特定了解できるような小説、つまり、小説の筋又は骨格が終始実在の人物の行動に沿っている場合で、かつ、実在の人物を連想させない配慮に欠け、実名を使ったと同視できる伝記小説の一種というべき小説であるところ、本件小説は、以下に述べるとおり、モデルとなった亡水口啓の現実に生存した時代がそのまま使われ、その生涯に生起した重大な出来事がほとんど実年月と一致して記述されているものであるから、実名を使ったと同視できる亡水口啓の伝記小説の一種であるというべきである。

(二) 本件小説は、被告高橋が亡水口啓の周辺を取材し、本件小説に登場する土地を実際に訪れて知った事実に生起した事実を、ほとんどそのままなぞって描いたにすぎないので、小説の筋又は骨格が終始実在の人物の行動に沿っているといえる。

(1) 本件小説中に出てくる場所・地名のうち少なくとも別紙3に挙げたものは、原告らが居住する伊豆地方に関連していることが明らかである。

「夕菅」及び「小谷地」のみは仮名とされているが、その他の地名や場所が実名が用いられ、それらとの地理関係、位置関係も現実に即して具体的に描写されている以上、「夕菅」、「小谷地」がそれぞれ「韮山」、「小坂」であることは一目瞭然である。

(2) 被告高橋の取材の結果、それぞれのモデルについて同被告が知り得た事実がそのままあるいはわずかに変えられたのみで本件小説に用いられた具体例は、別紙4のとおりである。そのほか、被告高橋が韮山に取材のために訪れた際に体験あるいは見聞した学籍簿の閲覧、墓所、父の生家、三島龍澤寺、岡本訪問等々は、吉松教授が行ったこととして、本件小説の「夕菅村」「過去への旅」「独白」の各章に用いられている。

(三) 本件小説では、前述のとおり、現実の事実が多く使われているにもかかわらず、モデルとされた実在の人物を連想させないための配慮がなされていない。

たしかに、登場人物には仮名が用いられており、地名については韮山を「夕菅」と、小坂を「小谷地」と変えているけれども、原告らの職業、水口啓の色覚異常、原告らが水口啓の妹夫婦であること、原告らが原告治子の氏を名乗る婚姻をしたこと、原告治子の母が一人娘であること、原告治子の母が戸田の出身であること、原告治子が薬剤師であること、原告孝義が医専出であること等をそのまま記述している上、登場人物の名前も、それぞれのモデルの名前を容易に連想できるようなものに変えたものにすぎない。

(四) モデル小説である旨が大々的に宣伝されることは、モデル小説であることの要件ではない。しかし、本件では、高知新聞の本件小説連載の予告記事に、本件小説は故人となった被告高橋の友人を主人公として描く小説である旨を同被告自らが明らかにしている上、被告らは、本件小説の発行及び販売に当たり、新聞紙上の本件小説の広告、単行本の帯、文庫本の帯及びカバーに、「人生の輝ける落伍者の生涯」「司法試験20回不合格の記録を作った奇行・反骨の男」「常識を逸した行動の底に潜む人間心理の闇、金沢・伊豆を舞台に教師と生徒、家族の絆を描く」「真実に迫る」「金沢・伊豆・仙台」「破滅的に生きる教え子の謎を四高時代の恩師が突きとめる」「病院長の息子で」「四高、東北大学時代の奇行学生」と記載して、本件小説にモデルがいることを、ことさら読者の興味や好奇心をかき立てるように宣伝した。

3  本件小説による名誉毀損

(一) 本件小説により、以下のような事実について、本件小説に描かれた事実が原告らに実際に生起したことであるように読者に受け取られかねず、原告らは、それによって名誉及び信用を著しく害された。

(二)(1) 原告孝義が現在経営している韮山医院の沿革について

本件小説では、原告孝義は、その経営する医院及び医師としての立場につき、別紙5①のとおり描かれている。

原告孝義が現在経営している韮山医院は義父の水口昇が経営していた韮山病院(後に韮山医院と改称)とはまったく別個のものであって、原告孝義は水口昇の後継者などではなく、まして、病院を継がされたことにより計り知れない恩恵を受けたものでもないにもかかわらず、右のように記述されたため、原告孝義が現在経営する韮山医院はすべて水口昇から受け継いだものであり、同人がこれによって多大な恩恵を受けたかのような印象を読者に与え、原告孝義の永年の医師としての名誉・信用が毀損された。

(2) 亡水口啓の死亡と葬儀についての原告らの行動や会話

本件小説では、水口啓がホテルの風呂場で変死し、原告孝義及び原告治子が現場に出向き、その後水口啓の死と葬儀についての会話をしたことが別紙5③のとおり描かれている。

原告らの間で水口啓の死や葬儀の場所について本件小説に描かれているような会話がなされた事実はないにもかかわらず、右のように記述されたことにより、原告らが現実に水口啓の死や葬儀に当たり真実このような会話をし、対処したという印象を読者に与え、原告らの名誉・信用が著しく毀損された。

(3) 水口啓の七回忌(思いの宴)について原告らがとった態度

本件小説では、別紙5④のとおり、水口啓を偲ぶ会の出席者らに対して、原告治子が「皆様にお会いするのが辛いがくれぐれもお礼を申し上げてほしい」という伝言をしたとされている。

しかし、原告治子がこのような伝言をした事実はなく、右のように記述されたことにより、原告治子が本件小説に描かれていることをすべて承認し、了解しているかのような印象を読者に与え、原告治子の名誉が毀損された。

(4) 墓及び町長選について

本件小説では、別紙5⑤のとおり、水口啓が両親の墓を建立したこと、水口啓の戒名等の墓誌への刻みこみは原告らが石屋に頼んでさせたこと、水口啓が立候補した町長選挙の際に、原告治子が、夫に頼んで病院の車を選挙活動に使えないようにした上、知り合いの家を一軒一軒廻って水口啓に投票しないよう依頼したことが事実であるかのように描かれている。

しかし水口昇夫婦の墓は原告らと弟妹が建立したのもであって、水口啓が建立した事実はないし、水口啓の戒名等の墓誌への刻みこみも原告らがさせたものではない。また、昭和四七年一〇月の町長選挙に水口啓が立候補した際に原告治子が本件小説に描かれたような行動をとった事実もない。

本件小説において右のように描写されたことにより、原告らの名誉は著しく傷つけられた。

(5) 原告らについて

本件小説において原告らは武部夫妻として描かれており、小説中に描かれた武部夫妻の行動・態度・性格・考え方等が真実原告らの姿であると広く信じられ、受け取られることによって、原告らの名誉及び信用が著しく害された。

4  本件小説によるプライバシー侵害

(一) プライバシーの侵害が成立するためには、①私生活上の事実又は私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある事柄であること、②一般人の感受性を基準にして、当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められる事柄であること、換言すれば、一般人の感覚を基準として、公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められる事柄であること、③一般の人々に未だ知られていない事柄であることとを要し、かつ、このような事柄の公開によって当該私人が実際に不快・不安の念を覚えたことを要するところ、原告らは、本件小説において、次のような私生活上の事実について虚実ないまぜに描かれ、明らかにプライバシーを侵害された。

(二)(1) 原告らの学歴

本件小説において、別紙5①のとおり、原告孝義は国立医専出身の医師であること、原告治子は薬科大学を出て薬剤師の資格を持っていること等、その学歴を明らかにされた。

右の学歴が高学歴であるからといって、他人に公開を欲する事柄と考えるのは、あまりにも偏った考え方であり、特に、原告孝義は、東京帝国大学附属医学専門部を卒業したのであるが、本件小説中においてことさら「国立医専を出ただけの男、医者としては高が知れている」等と評され、その学歴を明らかにされたことは容認し難いことである。また、原告らの学歴は韮山村議会においても公開されておらず、一般の人々には未だ知られていなかったものである。

(2) 原告らの結婚の経緯

本件小説において、別紙5①及び③のとおり、原告らの結婚に至る経緯が明らかにされた。

およそ個人がいかなる経緯のもとでいかなる婚姻をしたか等は、当事者が積極的に公開していればともかく、通常は他人に知られたくないものである。特に、原告孝義にとっては、妻の氏を称する婚姻をし、妻の家族を扶養してきた等の事実を、さらに、原告治子と婚姻することで、妻の父の財産に加えて母の財産まで手に入れたかのように描かれたことは、耐え難いことである。

なお、原告らの結婚については、村医の結婚とこれに伴い妻の氏を称したという事実の限度では村民に知られた事実であったとしても、その経緯の詳細までが公開されていたわけではないし、本件小説が出る四半世紀も前の過去の出来事だったものをわざわざ明らかにされたのであって、プライバシーを害された。

(3) 原告らの医院開業の経緯、財産関係

本件小説においては、別紙5①及び③のとおり、現在原告孝義が経営している韮山医院はすべて義父水口昇から受け継いだもので、これにより原告孝義が多大の恩恵を受けたかのように描かれている。

いかなる経緯で医院を開業し、特にその財産関係はどのようなものであるか等は、他人に知られたくない事柄である。まして、原告孝義にとっては、既にこの地で四〇年近く地道な努力により医療活動を続け、信用を築いてきたにもかかわらず、事実に反し、養子であるとか財産をすべて妻の父から受け継いだかのように描かれることは、大変な苦痛である。

(4) 遺伝的要因(色覚異常)

本件小説では、槙山光太郎は「色弱だった」(一四六頁)、母親を選んだことで槙山の人生に色弱という悪条件を持ち込んだのは当の父親なのだ」(一四七頁)、「槙山君が色盲だった」(二九一頁)等と、水口啓が色覚異常であったことが明らかにされている。

色覚異常は遺伝するため、個人の重大なプライバシーに属するものとして、それに触れることは特に慎重を要するものであることは明らかであり、特に原告治子にとっては、色覚異常の遺伝の蓋然性を有しているという事実は第三者に知られたくない事柄である。

なお、原告らはもちろんその他の親族も、水口啓の色覚異常について一度もこれを公開したことはない。

(5) 親族の死因

本件小説では、別紙5③のとおり、槙山光太郎は長岡温泉のホテルの大浴場の浴槽で死亡したことになっており、その発見の様子が描かれている。

原告らにとっては、親族がどのような原因で死亡したのか、ましてその死に方がいわゆる「畳の上の死」ではなかった場合、他人に知られずに過ぎてきたことを、ことさら怪奇的な死として描かれ、好奇の対象とされることは耐え難いことである。さらに、原告孝義は医師として亡水口啓の検屍を行ったが、このことも一部の警察関係者らにしか知られていなかったのであるが、そのような事実までもが明らかにされたことも重大である。

本件小説で明らかにされた亡水口啓の死因が、同人の死亡時から地元で公然たる事実又は噂として人々の間に流布されていたということはない。また、仮に同人の死亡原因が当時噂されたとしても、一〇年以上前の過去の事実であったものを本件小説によって改めて明らかにされたのであるから、プライバシー侵害に該当する。

(6) 原告治子の両親の結婚の経緯や家族関係

本件小説では、原告治子の両親について、別紙4のとおり、その出身地・学歴・経歴・容姿・性格・結婚の経緯等が描かれている。

人がどのような親を持っているか、また、その親がどこの出身でいかなる学歴・経歴であり、どのような容貌・性格であり、いかなる結婚をし、どのような生活をしていたのか等は、自ら明らかにする以外、わざわざ公開し、知られたくない事柄である。原告治子にとっては、このような両親の個人的な事柄を明らかにされ、読者からすべて真実と受け取られることは、大変苦痛である。

(7) 原告らの人物像

以上摘示した以外に、本件小説では、原告らは、別紙5①ないし⑤に記載されているような人物として描かれている。そのため、読者をして、本件小説の中の武部保雄及び万里子があたかも現実の原告らその人であるかのように受け取られた。これは、原告らとしては耐え難い苦痛であり、到底許容し得るものではない。

5  被告らの責任

(一) 被告高橋の責任

被告高橋は、本件小説の著作者として、良識を欠いた取材活動によって得た事実を用いて、原告らに対する何らの配慮をもせずに、本件小説を執筆して、原告らのプライバシーを侵害し、名誉を毀損し、信用を低下させた。

(二) 被告講談社の責任

被告講談社は、出版事業者として、本件小説を単行本として出版する際、何人の権利の侵害もないかを慎重かつ厳重に点検、審査すべきであったにもかかわらず、これを怠り、ことさら売らんがために、「金沢・伊豆・仙台」「家族の絆」「真実に迫る」「闇」「謎」等と強調して、読者をして真実と思わせるような宣伝をして本件小説の販売を行った。さらに、被告講談社は、本件訴訟中にもかかわらず、何らの配慮をせず文庫本の発行に踏み切った。

6  損害等

(一) 本件小説によって、原告らは名誉・信用を毀損され、プライバシーを侵害されて、癒しがたい精神的苦痛を負わされている。

(二)(1) 本件小説の出版・発行が今後も続くことは、原告らの被害が拡大し、継続することにほかならないから、本件小説の出版及び発行は中止されるべきである。

(2) 本件小説が新聞小説として一〇年以上前に連載が開始されて以来、多くの単行本及び文庫本が出版・発行され、多くの読者に読まれたことから、原告らが被った被害を回復するためには、謝罪広告が必要である。

(3) 本件において原告らが被った被害は、原状に回復することが困難である以上、慰藉料の支払もやむを得ない。

7  よって、原告らは被告らに対し、本件の不法行為による損害の防止及び回復の手段として、本件小説の出版・発行の中止及び謝罪広告の掲載を求めるとともに、損害賠償請求権に基づき、原告らそれぞれに対して各五〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成二年一月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)ないし(三)の各事実はすべて認める。

2(一)  同2は争う。

以下の理由により、原則として、小説という文学的表現によっては名誉毀損やプライバシー侵害の問題は生じないものと考えるべきであり、小説への批判があれば、それはまさにペンによって行われるべきである。

(1) そもそも小説とは、散文による相当の長さの虚構物語(フィクション)で、一定のまとまりと構造を持ち、現実に即した人物と事件を扱うものである。このようなものを小説たらしめている要素は、「主題」とこれを伝達するための「構成」、並びにそれらによって作り出されたストーリー、人物造型及び著者による描写にほかならない。主題によって、事実及び事実的要素が取捨選択され、ある場合には全く形を変え、ある場合には事実そのものとは意味や価値を異にして構成されて作品中に表現され、結果として一定のまとまりと構造がもたらされ虚構物語となるものである。小説が事実報告と決定的に違う点は、まさに虚構であることと右の意味における主題、構成等の存在である。

したがって、小説中に表現されているのは、文学的真実(虚構)であって、事実(現実)ではない。文学的真実は事実(現実)から発想されることもあるが、それはあくまでも主題というフィルターを通したものであって、ある場合には事実(現実)とは全く違った意味さえも付与され得るのである。

このように小説はあくまでも虚構であり、いくら小説家が現実の素材(人物や事実等)にヒントを得ていたとしても、最終的にできあがった作品は虚構のものとして世の人々に読まれ親しまれるのである。通常の読者は、小説の中の「事実」(事象)が現実かどうかには関心をもたず、小説の中の人物像やストーリーの展開の仕方等の中に「主題」を探って、いくのである。

このような、虚構であることを前提とする書き手と読み手の関係が保持される限り、小説において名誉毀損、プライバシー侵害の問題が生じる余地は全くないというべきである。

(2) 小説の社会的意義や歴史的な意義に照らすと、裁判所が小説の内容に介入してその適法性を判断することには原則として慎重でなければならない。

(二)  小説が例外的にモデルとの関係で名誉毀損やプライバシー侵害の問題を生じる領域は、右の原則に鑑みて極めて限定的に捉えられなければならない。したがって、プライバシー侵害の考察の対象となり得るモデル小説は、作中人物にモデルがある小説すべてではなく、虚構性を作者自らが積極的又は消極的に放棄していると認められる場合に限定される。

実在の人物を素材とする小説は、以下のようなケースに分類できるが、プライバシー侵害の問題を生じる余地を有するいわゆるモデル小説は、そのうちの(2)イbⅱ、(2)ロ及び(2)ハに限られるというべきである。

(1) 実在人物の性格や行動を素材としているが、作中人物は実在人物を離れて独自に動いていく場合

(2) 小説の筋又は骨格が終始実在人物の行動に沿っている場合

イ 作者が、一般読者をして、実在人物を想定し得ないよう、又は、実在人物を想定しても実在人物とは異なる人格であると認識し得るよう配慮している場合

a 配慮の結果、一般読者において、実在人物を想定しないか、想定しても異なる人格と認識する場合

b 配慮にもかかわらず、一般読者において、実在人物を想定し、かつ、作中人物と実在人物を一致する人格と認識する場合

ⅰ 実在人物を想定し、作中人物の人格と一致すると認識する一般読者が極く限定された少数の場合

ⅱ 右認識をする一般読者が広汎で、万をもって数え得るほど多数の場合

ロ 作者が、イの配慮をせず、又はこれを過失により怠った場合(虚構性の作者による消極的放棄)

ハ 作者が、イの配慮をする意図を有せず、実在人物に依拠し、その知名度等を利用する場合(虚構性の作者による積極的放棄)

(三)  原告らは、本件小説中の事象と現実の事実との「外形的事実の一致」を拠り所として、本件小説を実在の人物についての叙述であると断定している。しかし、本件小説は、以前学生から無能教授として追放運動の対象となったにもかかわらず、その当時の学生を二五年後でも心にとめ、その人生を共に考えようとしていた被告の恩師である慶松教授を素材に、真の教育者像とその人間性を描くという主題とそれを描くための構成が確固としており、虚構性、創作性において高い水準にあることは疑いがなく、実在人物の性格や行動を素材としているものの、作中人物は実在人物を離れて独自に動いているというべきであり、前項の(1)に該当するので、いわゆるモデル小説には該当しない。仮に、本件小説の筋又は骨格が終始実在人物の行動に沿っているとしても、本件小説は実名と地名に相当の注意を払って書き下ろされているのであるから、前項の(2)イbⅱ、(2)ロ又は(2)ハに該当しないことは明らかであり、いずれにしても本件小説によってプライバシー侵害の問題は生じない。また、読者のモデル的興味という点においても、登場人物である槙山光太郎及び武部夫妻の素材である亡水口啓及び原告らは、地域的にも年齢的にも極めて限られた人物にしか知られておらず、そもそもモデル的興味の対象ではあり得ない上、モデルを想定し得る人々にとっても、モデル小説である旨の宣伝が行われたことがない上、実在しない人物の創造と実在人物のデフォルメ、これらの織り成す様々なストーリーの組み上げにより、フィクションとしてモデル的興味は取り去られており、本件小説はモデルへの興味には依拠していない。

以上のとおり、本件小説はそもそもフィクションであって、ノンフィクションの一種である伝記小説でもいわゆるモデル小説でもないのであり、特定の実在の人物に関する叙述ではない。すなわち、本件小説は、原告らを知る由もない圧倒的大多数の読者にとっては勿論、原告らを想定し得る限定されたごく少数の読者にとっても、元来は虚構であるとの了解の下に読まれるものである。したがって、本件小説における武部夫妻に関する描写が、原告らに対する名誉毀損やプライバシー侵害を構成する余地はない。

3(一)  請求原因3は争う。原告が指摘する箇所は、次に述べるとおり、すべて原告らの社会的評価を低下させるものではない。

(二)(1)  韮山医院の沿革について

本件小説では、原告孝義が「義父の病院を継いだ」という点はむしろ美談として語られている面があるし、一般人の基準による限り、かかる記述が原告孝義の長年の医師としての社会的評価を低下させるとは考えられない。

原告孝義の医師としての社会的評価が形成されているとすれば、それは原告孝義自身の三〇年以上にわたる活動によって形成されてきたもので、義父の病院を継いだかどうかという韮山医院の沿革とは無関係であり、義父の病院を継いだかどうかということが原告孝義の医師としての社会的評価に影響を及ぼすことはあり得ない。

(2) 水口啓の死亡と葬儀について

一般人の基準による限り本件小説に描かれた武部夫妻の会話が原告らの社会的評価を低下させるものとは到底考えられない。むしろ武部夫妻の生き方は一種の美談として描かれているのであって、原告らが指摘している箇所に叙述された武部夫妻の槙山光太郎の死や葬儀に際しての会話や行動を原告らに重ねたとしても、その社会的評価を高めこそすれ、何らこれを低める要素はない。

(3) 水口啓の七回忌について

「皆様にお会いするのが辛いがくれぐれもお礼を申し上げてほしい」と伝言したことが、原告らが主張するように、本件小説に書かれていることをすべて承認したことにはならないことは明らかである。

結局、原告らは、右伝言が原告治子自身の気持ちとそぐわないことを問題にしているにすぎず、この主張は原告らの独自の考え方に基づく牽強付会の議論というほかはない。

(4) 墓及び町長選について

両親の墓を子のうち誰が建立したか、故人の戒名を誰が依頼したかということは、名誉毀損で問題とされるような人に対する社会的評定の低下とは無縁の事柄であることは言うまでもない。また、町長選については、本件小説中に描かれている町長選に際しての武部万里子の行為は、原告治子に対する社会的評価の低下と結び付くものではない。

(5) 原告らについて

本件小説においては、武部夫妻の生き方(行動・態度・性格・考え方等一切を含めて)は、極めて好意的、同情的に美しく描かれており、名誉毀損の問題など生ずるはずがない。

4(一)  請求原因4は争う。

もともと小説はフィクションの世界であって、実在の人物を直接取り上げた伝記小説は別にして、決して実在の人物そのものやその行跡を記述したものではなく、フィクションであるとの了解の下に読まれるべきものであるから、元来はプライバシー侵害の問題を生ずる余地はないのである。それにもかかわらず、もしプライバシー侵害の問題を生ずる余地があるとすれば、読者が小説中の登場人物から容易に特定の実在の人物なり事件なりを想定し得、かつ、両者を同一の人格と認識するという場合に限られる。しかし、この場合でも、現実の人物なり事件なりを取り上げていることを標榜するノンフィクションの場合と異なって、プライバシー侵害の問題を惹起しているか否かの判断は、文学的表現の自由の最大限の尊重という観点からして、よほど慎重に行われなければならない。

本件小説の場合、その読者のうちの圧倒的な大多数は、水口啓なる人物はもちろんのこと、原告らを含むその周辺の人物を知らず、本件小説を読むことにより原告らを想定することはあり得ないので、そのような読者との関係においてはプライバシー侵害が成立する余地は全くない。

結局、原告が主張するプライバシー侵害は、原告らを想定し得るごく限られた少数の読者との関係においてのみ問題となるにすぎないが、小説との関係におけるプライバシー保護の対象は、公権力や報道機関による個人情報の侵害に関して発展してきた「放っておいてもらう権利」とか「自己の情報をコントロールする権利」の対象たる事象よりは狭く捉えられるべきであり、外聞が悪く人の評価を低下せしめ得るおそれがあるために通常人の感受性に照らせば公開を欲しないと認められる事項に限定されなければならず、ごく限定された読者との関係においても、原告が指摘する点はいずれも何ら外聞の悪い事実ではないのであるから、原告らのプライバシー保護の対象とはならない。

そしてさらに、プライバシー侵害の要件該当性は、単なる客観性の側面のみならず、作者の主観的意図やその背景たる社会的状況をも勘案して、害意のある場合に限って認められるべきであるが、本件小説において作者が意図したのは、善意の人物と善意の人物とがぶつかったときに、その心のひだに、人間の葛藤なりあるいは闘いをねじ伏せる自制心なりというものが人の感動を呼ぶというものであって、武部夫妻を含めて登場人物はすべて格調高く人間性豊かに描かれており、本件小説は右の点においてもプライバシー侵害を構成しない。

(二)  原告らの主張する個々の点についてもプライバシー侵害は成立しない。

(1) 原告らの学歴について

原告孝義は、もともと村医であり、その後は町の特別職公務員に任用されているのであって、その資格や経歴が村議会で公に審議の対象とされているのであるから、原告孝義の学歴は公知の事実である上、公共的関心事に属する。

さらに、国立医専は旧制の専門学校の一つであるが、旧制の専門学校以上の学歴保有者は現在とは異なり非常に少なかったし、医学専門学校の中でも国立となれば評価は極めて高かった。ことに、一定年齢以上の人からみれば、国立医専といえば、尊敬の対象にこそなれ、評価を低める要素には絶対にならない。したがって、一般人の基準によれば、右事実は他人に知られたくない事実とはいえない。

原告治子が薬科大学を卒業し、薬剤師の資格を持っているか否かということは、原告らの勤務する医院は町立町営診療所であった時期もあるのであるから、そこで働く者の薬剤師の資格の有無は公知の事実である上、公共的関心事に属する。

さらに、原告治子の年代の女性にとっては、大学出であるということは高い評価を受ける要素であるから、一般人の感受性を基準にする限り、他人に知られたくない事実とはいえない。

(2) 原告らの結婚の経緯について

韮山医院は地域ではよく知られた存在であり、その院長と妻がもともとどういう知り合い関係にあったかとか、妻の氏を名乗る婚姻をしているとかの概括的・外形的な事実は、村(町)民にはよく知られた事実である。まして、原告らを想定し得る限定されたごく少数の読者にとってはなおさら知悉されていることがらであるから、このような事実に触れたからといって、プライバシー侵害が成立することはない。

また、その結婚の経緯が通常他人にはばかられるような内容であればともかくとして、本件小説は、病院長の娘とその病院に勤務していた医師とが結婚したとか、妻の氏を名乗る婚姻をしたとかいう概括的・外形的な事実経過のみに言及しているにとどまり、微に入り細を穿った形でその間の経緯を克明に描いているわけではないのであるから、通常人の感受性を基準にしてみれば、他人に知られたくない事実とはならない。

(3) 韮山医院開業の経緯、財産関係について

韮山医院の開業の経緯やその財産関係は、村(町)議会の審議・議決の対象となっているのみならず、村(町)民にはすべて公開されていたことで、まさに公知の事実であり、公共的関心事にほかならず、プライバシーの対象とはならない。

また、原告孝義自身が、公刊物である田方郡医師会史に「開業当初のことども」と題した随筆を寄せて、医院開業当時の思い出を語っているほどであり、これは本人による情報の開示にほかならず、原告自身が秘匿性を解除したものということができる。

(4) 遺伝的要因(色覚異常)について

プライバシー侵害に当たるかどうかの判断基準としての一般人(通常人)の感受性は、時代とともに変化するものであるところ、色覚異常の問題は、今日では、社会的進路や能力発揮の障害になるとは考えられておらず、既に一般的な社会常識として、敢えて秘匿しなければならない事項とは考えられていない。これがもし問題にされるのであれば、それは社会のごく限られた部分に残されている偏見や誤解ないし差別意識にすぎない。したがって、色覚異常の問題は、プライバシー侵害成立の一要件としての、一般人の感受性を基準にして公開を欲しないと認められる場合には既に該当しなくなっていると言わなければならない。

また、本件小説を読んで水口啓を想定し得る限定されたごく少数の読者にとっては、同人自身が色覚異常であったことを公言していたために、このことはよく知られた事実であった。

さらに、プライバシー侵害性の有無は叙述の意図・態様からも判断されるべきであるところ、槙山光太郎が色覚異常であることは本件小説の構成上重要な意味をもっており、これを欠くことは不可能である。そして、被告高橋が本件小説で色覚異常の問題を取り上げた意図は、決してこれを掫揄したり、差別意識を助長したり、あるいは秘密を暴露するところにあるのではなく、読者に偏見や差別意識の克服を訴えかける積極的な姿勢にほかならない。右のような叙述の意図・態様からすれば、プライバシー侵害性はないというべきである。

(5) 亡水口啓の死因について

亡水口啓の死亡の状況は、同人が死亡した直後から地元では噂となっており、地域の人々には知られていた。したがって、原告らを想定し得る限られた読者にとっては、水口啓の死亡の状況は既に知られていた事柄で、半ば公然たる事実であって、プライバシー侵害性はない。

そして、人の死亡原因がプライバシーに関わる場合に該当するとしても、元来死者本人の名誉ないしプライバシーにほかならないのであって、遺族(肉親)にとってプライバシーになる場合というのはごく限定されるはずである。本件で問題となっている亡水口啓の死因とは、結局、泥酔して風呂場で死んだということであるが、一般人の感覚からすれば、自らの兄弟がこのような死に方をしたことを絶対に他人に知られたくないとは思わないはずである。

原告孝義が医師として亡水口啓の検屍に赴いた事実については、本件小説執筆前の昭和五九年一〇月二四日に被告高橋が原告宅を訪問した際に、原告治子自身が被告高橋の質問をまたずに進んで語っている。

(6) 原告治子の両親の結婚の経緯等について

原告治子の両親にかかわる概括的・外形的事実は、概ね村(町)民にはよく知られた事実であり、まして本件小説を読んで原告治子の両親を想定し得る読者は十分に知っている事実であって、何ら秘密性はない。

また、一般人の感受性を基準にすると、両親の出自・経歴・結婚の経緯等は、それらの中に特に他人に秘匿しなければならないような格別の事情が含まれていない限り、他人に知られたくない事実とはいえず、本件小説は、右のような事実を叙述するにあたって、ほとんど履歴書ないし経歴書の記載と異ならないような形で、単に概括的・外形的な事実経過のみに触れるだけで、それらの諸点をめぐってこと細かに詮索するような叙述をしているわけではないから、プライバシー侵害にはあたらない。

(7) 原告らの人物像について

通常ある人の人物像といった抽象的な事象がプライバシーの問題を惹起することはあり得ず、それがもしプライバシーにかかわることがあるとすれば、その人の具体的な行状として描かれている個々の事実自体が直接にプライバシーに触れるためであって、決して抽象的な人物像といったものが問題となるわけではない。

なお、原告らは、その人物像が世間から否定的にみられる人物として描かれているとの理解を前提にしているようであるが、本件小説中に描かれている武部夫妻の生き方は、一種の美談として美しく格調高く描かれており、通常の感覚を有する読者が抱く人物像は、好意を抱く対象でこそあれ、決して否定的に評価されるされるような人物としては描かれていない。

三  抗弁(原告らによる同意)

本件小説は伝記小説でもモデル小説でもないのであるから、素材とされる人物本人ないしその遺族の承諾は全く不要である。しかし、本件では、被告高橋が、本件小説の執筆前に、本件小説の登場人物である槙山光太郎の素材である亡水口啓の妹原告治子から、韮山の地名を使わず、人名についても実名を使わないという条件で、小説化についての同意を得た。プライバシーの権利とは自己に関する情報をコントロールする権利であるから、右のとおりプライバシーの主体自身が自己に関する情報を開示ないし利用されることに同意した以上、違法性はもちろん権利侵害性も阻却されるのであり、被告高橋は、原告治子から付された右条件を守って本件小説を執筆したのであるから、プライバシー侵害による責任を負わない。

四  抗弁に対する認否

抗弁の事実は否認する。原告らは、本件小説について被告高橋からあらかじめ何も聞かされていないし、本件小説執筆についての条件を提示したこともない。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

理由

一  当事者の地位等

原告孝義は「韮山医院」の名称をもって医院を開業している医師であること、原告治子は原告孝義の妻であること、被告高橋は小説家であり、昭和五九年一一月一一日から高知新聞に「名もなき道を」と題する本件小説を連載執筆した後、被告講談社に本件小説を単行本として出版することを許諾し、昭和六三年五月一八日以降、版を重ねて刊行していること、被告講談社は、雑誌及び書籍の出版等を目的とする株式会社で、右のとおり本件小説の単行本を出版発売し、本件訴訟提起当時現在既に第八刷を発行していたことは、当事者間に争いがない。

二  本件小説執筆の経緯等

甲第一号証、第五号証の一、二、第七号証、第一一号証、第一二号証の一ないし三、第一八、第一九号証、第二四号証、第二六号証、第四五号証、第五八号証の一、二、第六七号証、第七一号証の一ないし五、乙第一六号証、第二三、第二四号証の各一、二、第三五号証、第四七ないし第四九号証、第五二号証の一、同号証の二の一ないし三、第五三号証の一、二、第五四号証の一、第五五号証、第八五号証の一、二、第九八号証、第一〇三、第一〇四号証、第一〇九ないし第一二四号証、証人旭太四郎、同澤英武、同佐野文一郎、同岡本重幸、同杉山辰哉、同慶松幾多、同佐藤喜四雄の各証言、原告佐山治子及び被告高橋治の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  被告高橋は、自らの旧制第四高等学校時代の恩師故慶松光雄金沢大学名誉教授が、四高教授時代学生から無能教授として追放運動の対象となったにもかかわらず、その当時の学生を二五年も経った後でも心にとめ、その人生を共に考えようとしていたことを昭和四八年頃に知って感銘を受け、教育者としてのあるべき姿を戦後青春とだぶらせて描くことと、旧制高校生の友情とを主題とする小説を構想していた。

2  慶松教授が、卒業後二五年も経ったにもかかわらず、昔の指導生徒として心にとめ、わざわざ伊豆まで出かけて、二〇年も司法試験を受け続けるという生き方を考え直すように説得したのは、被告高橋の同級生で、慶松教授追放運動の首謀者の一人であった水口啓であった。

水口啓は、東京大学医学部卒業後昭和七年に伊豆韮山村の村医として招聘されて韮山病院を開業した水口昇、妻早苗の長男として生まれた。韮山病院は、当時の伊豆田方地区では外科手術のできる唯一の病院として有名であった。水口啓は、昭和一六年に旧制韮山中学に入学し、有名な病院の院長の息子であったことや言動が変わっていたことから、韮山村では注目されていた。水口啓は、昭和二〇年に金沢の四高、昭和二五年に東北大学法学部に進学し、その後大学院へも進んだ。

水口昇は昭和二七年六月死亡し、韮山病院(のちに韮山医院と改称)の後継者として原告孝義(当時榊原姓)が招聘された。その後、原告孝義は、水口啓の妹で、母方の養女となって佐山姓を継いでいた原告治子と妻の氏を称する婚姻をした。

水口啓は、大学卒業後司法試験の受験を始め、韮山に帰郷してからも、定職に就かずに原告らの援助の下に司法試験を受け続けた。同人は、昭和四〇年代になると、アルコール中毒になり、韮山をみすぼらしい身なりをして歩き回り、友人らに金銭上の迷惑をかけるなど、奇行が目立つようになった。そして、昭和四七年には、韮山病院の敷地問題が原因で韮山町の町長選挙に立候補したが落選し、昭和四九年に四六歳で死亡した。

3  被告高橋は、高知新聞等地方紙七紙に掲載する新聞小説の執筆を依頼され、前記のように構想中であった慶松教授を素材とするものなど、当時裏中に温めていた幾つかの題材のいずれかによる小説を執筆しようと考えていたところ、昭和五九年七月七日、水口啓の小・中学校を通じての同級生であった澤英武の呼びかけにより、「水口啓を偲ぶ会」が開かれることになり、被告高橋も四高時代の同級生の一人として出席した。この会には、水口啓の妹鈴木洋子、韮山中学時代の恩師旭太四郎のほか、父親が韮山中学の教師をしていた関係で幼少時を韮山で過ごし、小学生時代の水口啓やその父母を知り、生前の水口啓に再三勤務先の文部省に訪問されたことのある当時の佐野文一郎文部事務次官、その後輩に当たる当時の鈴木勲文化庁長官、水口啓の四高時代の同級生である林建彦東海大学教授、小西洋一東洋レーヨン取締役、東北大学時代の知人である浅野晃共立女子大教授も出席した。

この会の席上、被告高橋は、生前の水口啓の奇行によって各種の迷惑を受けた友人・知人の間に、同人に対する悪感情だけが残っているのではなく、何かしら愛すべき人物として心に残る一面をもち、死後一〇年を経ていながら「偲ぶ会」を催させるだけの美点を持った人物であったとの共通の認識があること、そして、かかる水口啓の人格が、村でありながら県立の旧制中学をもち、文化的な雰囲気の中で多くの文人・知識人を輩出した韮山という風土の中で培われた側面のあることを知り、文学的な刺激を受けた。

4  そこで、被告高橋は、慶松教授から発想した真の教育者とその人間性を主題として「名もなき道を」と題する本件小説を執筆することを決め、右のような教育者像を際立たせるために、水口啓から発想した一種異様な人格を有する人物(槙山光太郎)を対置させることにしたが、さらに、本件小説を単なる右二つの人格の対置という単純な構成にとどめず、謎解き的な要素を入れるために、槙山光太郎の人に見せなかった面を知る人物として、想像上の女性である服部苑子(新聞連載小説の段階では服部その子)を登場させることとした。

そして、被告高橋は、右のような構想の下に本件小説の構成を進め、昭和五九年八月二〇日頃には、全体の章立てと各章の粗筋を完成させ、約三〇〇回の新聞小説として執筆する予定を立てた。

5  これと前後して、被告高橋は、澤英武を介して、右のような本件小説の執筆について原告らの了解を得るよう前記旭太四郎に仲介を依頼し、昭和五九年八月中には、同人を介して、原告治子から、地名・人名に注意すること、すなわち韮山という地名を使わず、人名についても仮名を用いることを条件に、了解する旨の回答を得た。

そこで、被告高橋は、同年九月二八日、本件小説の新聞連載についての記者会見を行うとともに、前記佐野文一郎及び鈴木勲に面会して取材を行った。そして、同年一〇月二二日には、澤英武及び前記浅野晃についても取材をし、同月二四日からは伊豆方面に赴き、旭太四郎の案内で、原告ら方を訪問して原告治子に挨拶をした上、韮山高校(旧制の韮山中学)、伊豆長岡町小坂にある水口家の墓所、三島の龍澤寺等に赴いて実地を見聞したり、旭の仲介により、水口啓の韮山中学の同級生らに面会して取材を行い、さらに、同月二五日には、韮山中学の同級生で三島市内で開業している岡本重幸医師についても取材を行った。

6  そして、昭和五九年一〇月二七日には、本件小説の第一回から第三回までの原稿を完成して七社会に渡し、以後同年末までに第七七回までの原稿を完成した。

当初約三〇〇回を目処として執筆された本件小説は、結局三一三回をもって完結し、昭和五九年一一月一一日から昭和六〇年九月二三日まで高知新聞に掲載されたほか、秋田魁新報、信濃毎日新聞、北国新聞(富山新聞)、中国新聞、神戸新聞及び熊本日々新聞の七紙に順次連載された(最終の掲載紙は熊本日々新聞で、昭和六〇年一一月六日が最終回)。

三  本件小説の梗概等

1  甲第一号証によれば、本件小説の梗概は次のとおりである。

(一)  「黒百合」の章

金沢大学名誉教授で、中国の地震、オーロラの研究では世界に並ぶもののない泰斗とされている吉松暁雄が、白山山中で高山植物である黒百合の写真撮影中に突然意識が遠のき、四高時代に自己の指導教官であった同教授を無能教授とののしったことがある槙山光太郎のことを思い浮かべながら息絶える。

(二)  「夕菅村」の章

時は吉松教授の生前に戻り、同教授が、大学卒業以来一五回も司法試験を受け続けて定職にも就いていない槙山光太郎に、司法試験の受験をあきらめて堅実な生き方をするよう忠告するために伊豆を訪れる。運転手付きの病院の車で出迎えた槙山光太郎は、不審を抱いた吉松教授に、「父の病院を、妹の亭主がついでやっています」「国立医専を出ただけの男ですから、医者としては高が知れているんですが、田舎の病院の院長ぐらいは結構つとまるんですねえ」と、揶揄をこめた言い方で、妹の亭主に対する優越的な立場を誇示してみせ、吉松教授に軽い嫌悪感を覚えさせる。次いで、槙山光太郎は、吉松教授を「鮎の里」という店に案内したが、養殖の鮎が出されたことについて店の主人を一方的に非難・攻撃して、吉松教授に消え入りたい思いを味わわせる。

槙山光太郎に対する吉松教授の忠告の試みは、槙山の激しい感情的な反発を受けて不成功に終わる。

一人夕菅の町に出た吉松教授は、タクシーの運転手に夕菅病院を案内させ、同病院の院長であった槙山光太郎の父に対する高い評価とともに、「院長」と綽名された槙山光太郎に対するあから様に軽侮を感じさせる評価を聞く。

旅館に戻った吉松教授を槙山光太郎の妹武部万里子が訪問し、同教授と万里子との間に、槙山光太郎の生い立ちなどについて別紙5①のような会話が繰り広げられ、槙山光太郎が父母や周囲の期待に反して医者になる道を選ばなかった原因が槙山の家なかんずく母親との関係にあったのではないかという吉松教授の推測が描かれる。

もっと槙山光太郎という人間を知りたいと考えた吉松教授は、夕菅高校(旧制夕菅中学)を訪ね、校長から槙山光太郎の学籍簿を見せられる。槙山光太郎が、言動に底力あり人を惹きつける力を有し、知能発達が水準を抜き、時として重要な事に指導者としての資質を発揮する統率力があり、寒稽古に皆勤するという評価を受ける半面、道徳性判断が常人のものと著しく隔絶し、学習状態非常に悪く、排他的・利己的で、感情的で過激な性質・思想を有し、しばしば人と争い人に不快感を与えるなどの極めて低い操行評価を与えられていることに驚いた吉松教授は、自己の体験に照らして、右のような操行評価が槙山光太郎の一面の真実を捉えていると考えるとともに、その背後にどうにもならない淋しさと孤独を抱え込んだ人間の姿を見る思いがする。

(三)  「過去への旅」の章

吉松教授は、夕菅高校の校長の紹介により、槙山光太郎の夕菅中学の同級生で三島で病院を開業している森岡松吉を訪れる。森岡は、中学在学中首席で通し、卒業生総代で答辞を読み、一高の理科乙類から東大医学部を出た人物である。森岡は、「槙山光太郎の子供の頃のことがわからないと、なぜ司法試験にこだわり続けるかを理解できないのではないか」と言う吉松教授に対し、槙山光太郎から司法試験をとり上げたら生きる目的を失ってしまい事実上死んだも同じ状態になることを恐れるあまり、自分を含めて槙山光太郎にそれを言ってやる勇気のある人間がいないのだと説明し、槙山光太郎は多分自分の過去を正当化するための口実として司法試験にこだわり続けているのではないか、との考えを示す。そして、中学校の入学式の日に槙山光太郎が生卵を呑み込んで見せたエピソードと、槙山光太郎の母が、夕菅病院の長男にふさわしい席次は首席だけだと言い槙山光太郎が一番の座から落ちると小学校に文句を言いに行ったとの噂があったことを語り、小学校では優等生で一番を通していた槙山光太郎が、中学の入学試験で一、二番の成績をとれなかったことにより深い挫折感を抱き、屈折のあまり生卵を呑み込むという行動に出たのではないかとの推測を語る。そして、槙山光太郎の母親が西伊豆の戸田の名家の出であること、東京女高師を卒業後女学校の教師をしていたことがあり、一人娘で誰もが振り返って見るほどの美女だったとのことで、子供心にも自分たちの母親と人種が違うという意識で見ていたが、槙山光太郎を羨ましいと思ったことはなく、むしろ友達は槙山光太郎を同情の目で見ていたこと、子供の頃の槙山光太郎には変に残酷なところと優しいところが同居していたが、その言動には淋しさを感じさせるものがあったと語る。

森岡は、さらに、忘れることのできない出来事として、自分が学校の推薦により一高理乙の試験に合格した後、槙山光太郎の中傷により教師から突然殴られた上推薦を取り消すと言われたエピソードを語り、槙山光太郎が自分を中傷したのは、夕菅病院の長男として本当は医者になりたかったが、成績のゆえに無試験の四高文科にしか進学できないのに、目の不自由な鍼医の息子である森岡が一高から医者になる道を歩きだすことを許せなかったのではないかとの推測を語る。そして、槙山光太郎が四高のほかに私立の医科大学に合格していたことと、槙山光太郎が「あの親父がいなければ、俺も医者になったかも知れなかったな」と淋しそうに述懐していたことを明かし、私立の医科大学に進んで医者になることでは父親が満足しなかったのではないかとの推測を語る。

(四)  「訃報」の章

金沢に帰った吉松教授は、四高・金沢大学を通じての同僚であった数学の谷川教授から、槙山光太郎が同教授の指導生徒であったこと、槙山光太郎が指導教官として谷川教授を選んだのは、槙山光太郎の父親が東大医学部当時親しくしていた金沢医大の久留米教授に息子の面倒をみてくれるよう依頼し、同教授から槙山光太郎を紹介されたためだが、同教授から見せてもらった父親の手紙には「槙山光太郎が生来の医学志望もかなわず止むなく文科を選んだ」旨が書かれていたことを語る。槙山光太郎が指導教官を吉松教授に変えたのは、成績が芳しくなかったため、及落会議で自己の指導生徒を徹底的にかばうという定評のあった同教授を頼ろうとしたためであることがわかる。吉松教授は、槙山光太郎について思いをめぐらせるうち、妻絹代の「本当にやりたいことがあるのなら、今からでも遅くはない」という手紙を書いてはどうかとの意見を容れて、長い手紙を出す。しかし、その返事が来ないままになっているうち、武部万里子から槙山光太郎の訃報が届く。この間、吉松教授の長年にわたる中国の地震研究が高い評価を受けて、中国科学院から同院主催の地震学会での研究発表を招請され、それが大成功をおさめたことが記述され、同教授が学者としても秀れた人物であったことが述べられる。

そして、別紙5③のように、槙山光太郎の死因が長岡温泉の観光ホテルでほとんど二日二晩飲み通し泥酔した上風呂に入ったために心臓麻痺を起こしたためであること、武部万里子の夫保雄がホテルからの連絡で万里子と共に槙山光太郎の死亡を確認した経緯、武部保雄が二代目院長として初代院長の槙山剛造から夕菅病院を引き継ぎ、母方の武部家を継いでいた万里子と妻の氏を称する婚姻をして以来、司法試験をめざす義兄の槙山光太郎を励ましその生活の面倒をみてきた経緯と槙山光太郎が死亡したことによる武部夫婦の複雑な感情の動き、槙山光太郎の葬儀が剛造の生家のある小谷地で営まれたことが描写されている。

(五)  「使者」の章

春の彼岸に墓参りをした吉松教授夫妻の前に、四高時代から槙山光太郎と親しくしていたという服部苑子が現れ、自分で作った槙山光太郎の墓に案内する。吉松絹代の提案で槙山光太郎を偲ぶ会をすることになり、苑子は、槙山光太郎から昔母が着ていたものの中で一番好きだったものを盗んで来たといって貰ったという紬の着物を着て現れる。そして、槙山光太郎が色弱であり、それが医者にならなかった理由だと苑子に述べていたことが明らかになり、吉松教授に不審を抱かせる。苑子との会話を通じて、自分の母親が持っていなかったものを苑子が持っており、それが母親の着物を苑子に着せたかった理由ではないか、あるいはその着物を着ていた頃の母親を求めていたのではないかとの吉松教授の見方、槙山光太郎を医者にしたかったのは母親の方であり、槙山光太郎がそれを耐え難く思っていたのではないかとの同教授の推量が示される。

(六)  「北の都」の章

服部苑子が、四高時代の槙山光太郎の思い出を吉松教授夫妻に語る。

金沢市内の女子短期大学に在学中の苑子は、ある映画の合評会で初めて四高生の槙山光太郎に会い、正論ではあるが周囲の調和を無視した発言で合評会を台なしにした槙山光太郎に軽い反発を覚えるが、その後下宿探しに来た槙山光太郎と再会し、近所に下宿を定めた槙山光太郎と付き合ううち、一見自分だけの世界に生きているようにみえる槙山光太郎に人が持ち合わせていない優しさがありそうに感じ、自分の中に槙山光太郎を許す優しさが生れて来ていることに気づく。苑子は、従姉で四高の生徒課に務める「裏丁」から、槙山光太郎が、文科乙類の同級生でラグビー部のキャプテン、自治会委員長や寮の運営委員をつとめる西野洋三に「ドリッテ」と称する廓遊びに誘われたが、相手の女を前にして一方的に売春の悪を説き、トラブルを起こしたことを聞く。その数日後、苑子は、ロンドン・オリンピック(当時の日本は、古橋、橋爪という、泳ぐ度に世界記録をぬりかえていた水泳選手がいながら、戦争責任の問題もからんでオリンピックへの参加が許されていなかった。)の記録映画を見に行った映画館で、槙山光太郎がスクリーンの中の水泳の優勝選手に向かって「インチキだ。お前が勝ったんじゃない。勝たせて貰ったんだ」と叫ぶのを聞き、体が熱くなるほどの恥ずかしさを感じる。その帰り道で槙山光太郎と会った苑子は、槙山光太郎の子供じみた一人よがりの行為を非難し、ドリッテの一件を持ち出すが、率直に自分の気持ちを語ろうとする槙山光太郎の態度に穏やかな気持ちを取り戻す。槙山光太郎は、問わず語りに故郷夕菅の話をし始め、幼少の頃から孤独だったことを話す。そして、槙山光太郎が、「母恋し、夕山桜、峯の松」という泉鏡花の句碑の前で、「でもどうして、こうむきつけに正直なんだろう。どうしたら、こう正直になれるんだ」と自分自身に問いかけるのを聞き、さらに、苑子が、母、姉、あるいは年上の女への男の憧れを描いた泉鏡花の作品「薬草取」を読んだ感想として、「女の身として、悪い気はしないだろうけど、当事者になったら、きっと困るだろう」と思ったと言った時に示した槙山光太郎の変化を見て、苑子は、槙山光太郎の背後にあったことを聞かないように決心したと、吉松教授に話す。

苑子は、槙山光太郎との間をつないでいたのは電話とときたま槙山光太郎が書いてくる手紙だけで、自分の方からは一切連絡をとらなかったこと、槙山光太郎が受け続けた司法試験のことも全く興味がないという態度をとり続けたこと、槙山光太郎は試験に落ちる度に理由にならない言訳をしていたが、いつの間にか、言訳どころか落ちたことも苑子には言わなくなったこと、それは苑子が聞かないことに安心したためであり、そのことを知って嬉しかったことなどを、吉松夫妻に話す。絹代は、「あなた方、並の夫婦じゃ、及びもつかないほど密度の濃い時間を持ってたのかもしれなくてよ」と、苑子の愛の深さに感動の言葉を漏らす。

苑子は、槙山光太郎と苑子が東北大学法学部に在学中の学部長で、後に金沢大学の学長をつとめた日本有数の法学者上川良次郎が、司法試験に落第し続ける直弟子の槙山光太郎に溢れるほどの温情で接し、終始心にとめていたこと、槙山光太郎の死を苑子に電話で報らせてくれたのは上川で、ぽつっとひと言、とても温かい言い方で「良かったねえ」と言ってくれたことを吉松教授に明かし、同教授は、「良かったねえ」という上川の言葉が、槙山の苦悩が終わったことへの深い思いやりであると同時に、戦い抜いた槙山への評価と共感の言葉でもあると感じる。

(七)  「杜の都」の章

苑子が、東北大学での槙山光太郎との思い出を吉松夫妻に語る。

苑子は、昭和二四年に始まったレッドパージで女子短大を追われた林助教授から学問をするように勧められる。槙山光太郎は、四高の閉校と共に金沢を去り、東北大学法学部に進学していた。苑子は槙山光太郎からの手紙で、いわゆるイールズ事件で激しく揺れる大学の様子と吉永達也という学生の紹介で大学新聞編集部の仕事をしていることを知る。苑子は、女子学生が日本で初めて司法試験に合格したことを知り、東北大学進学について父の許しを得、同大学法学部の入学試験に合格する。仙台駅で西野洋三の歌う四高応援歌に迎えられた苑子は、大学の構内で事故を起こしそうになったトラックの運転手を昂然とやりこめている槙山光太郎を一年ぶりに見て、情けないほどの恥ずかしさを覚える。その後槙山光太郎を見かけなくなったので、苑子は吉永達也と会い、槙山光太郎が大学新聞の編集部の仕事をするうち、執筆者の原稿に勝手に手を入れたりするトラブルを起こし、編集部を除名されたことを知る。一年後苑子は槙山光太郎と再会するが、吉永と交際していることを一方的に責められたことに反発し、槙山光太郎を追って仙台に来たのではなく勉強がしたかっただけであること、吉永は槙山光太郎の言うような裏切り者ではないことをはっきりと言い、槙山光太郎にショックを与える。苑子は大学三年の時吉永と同棲するようになり、卒業の年に結婚した。槙山光太郎は大学院に進学していたが、苑子は、槙山光太郎が司法試験を受け続けていることを知らないまま司法試験を受験し、一度で二次試験まで合格してしまう。しかし、妊娠したため三次試験を放棄したその矢先、槙山光太郎が吉永と苑子の家に怒鳴り込み、苑子が遊び半分に司法試験を受け、妊娠したという理由で三次試験を放棄するというようないい加減な生き方をしているといって苑子を一方的に非難し、苑子から強い反発を受けると、絶望して去って行く。その後、苑子は、槙山光太郎との間柄を嫉妬するようになった吉永と離婚して、金沢に戻る。

(八)  「思いの宴」の章

それから五、六年の後、苑子が吉永との間にもうけた娘が大学を卒業し、結婚して、苑子には初孫ができている。

苑子が、夕菅中学、四高、東北大学の同級生が集まって槙山光太郎の七回忌をするという連絡が西野からあったといって、吉松教授に同行を求める。

東京新宿のホテルで行われた七回忌には、四高文乙の同級生側からは、東京レイヨンの取締役になった西野のほかに、右ホテルの専務をしている能見、極東生命専務の小南、新聞記者から大学教授になった森が出席し、若槻文部事務次官、神崎文化庁長官、二高、東北大文学部の深井のほかに槙山光太郎の妹八田千里も出席しており、夕菅小学からの同級生で東洋新聞編集局次長の中沢の司会で会が進められ、出席者が交々槙山光太郎との関係や思い出話をする。このうち、吉松から見た千里の様子や吉松との会話、中沢の司会者としての挨拶、吉松、千里の挨拶については、別紙5④のように記述されている。この後、千里は、「時々、金沢に出かけていく兄が、本当に楽しそうにしていたのが私には忘れられません。……姉とも、どうしてだろうと話していたのです。姉もきっと喜びます」と苑子に礼を言う。

四高勢だけで開いた三次会では、時代の流れと共に生きてきたように思われる出席者の生き方に比べると、槙山光太郎のそれは他の人間には真似のできない極めて自主的な生き方ではなかったのかという感想とともに、若槻ら夕菅側の者には、単に幼馴染というだけではなく、槙山光太郎の痛みをもう少し深いところで自分の痛みのように受けとめているところがあるという感想が語られる。

(九)  「独白」の章

七回忌の翌日、吉松教授は、若槻と赤坂の料亭で会う。

若槻は、夕菅の教員官舎に育った自分が肋膜をこじらせていたのを槙山剛造院長に治してもらって以来、院長を尊敬してよく槙山の家に遊びに行き、院長夫妻から可愛がってもらったこと、このような関係は若槻の父が静岡に転任してからも続いたが、それで槙山光太郎と親しくなったことはなかったこと、槙山光太郎が色弱であることを見つけたのは自分であり、子供らしい残酷さで「院長の息子で医者になるといったって、色盲なら医者になれっこないじゃないか」と容赦なく言い立てたため、その日から槙山光太郎が医者になることを口にしなくなったことを明らかにする。そして、槙山光太郎が私立の医大に合格した際、最初は官立の医科のコースに進学できないことで親子の間が相当緊張したものの、最終的には、私立でもいいから医者の道を進むことで院長が譲歩したこと、しかし、槙山光太郎は、母親を傷つけてはならないとの配慮からか、色弱という本当の理由を言わないまま、医者になるのは嫌だとの一点張りで通してしまったこと、その頃から院長の酒がひどく荒んできたように思われたことを明かす。若槻は、槙山光太郎は立派な両親、夕菅という土地、夕菅病院の社会的地位にふさわしい、誇りある生き方をしなければという呪縛に苦しみ、救いを求めていたのではないかと言い、それに答えて何かをしてやる責任があると思いながら結局何もしてやれなかったことに大きな悔いが残ると述懐する。

翌日、吉松は、若槻の勧めに従って、教え子で東大のインド哲学を出て名刹龍澤寺の住職となっている須崎幸平を訪ねるべく、三島を訪れる。須崎は留守だったが、須崎の四高の後輩に当たる田村則之(旧姓土居)に会い、小谷地にある槙山家の墓所に案内される。そして、槙山光太郎が両親の法事をやると言って知事や県会議員まで方々に声をかけたが、集まったのは槙山光太郎の友人を中心に三〇人くらいで、弟や妹も来なかったという惨めなエピソードや、槙山剛造に村有の土地を提供して有菅病院を開かせた元の村長との間に病院のものにするという約束があった千坪の土地に村長の息子である現町長が公民館を建てようとしているのは背信行為であると主張して、槙山光太郎が町長選挙に立候補したが、誰からも見向きもされず落選したこと、その際、武部万里子が、世間に顔向けできないといって病院の車を使わせないようにし、知り合いの家を一軒一軒頭を下げて回ったこと(別紙5⑤)などを聞く。そして、土居は、修善寺の旅館に吉松を案内し、酔っ払った槙山光太郎がその旅館の浮舞台で謡曲「俊寛」を舞い、その間に四高の寮歌「北の都」を謡の節廻しで歌っていたことを吉松に聞かせる。吉松は、槙山光太郎が最後に叫んだ「頃合いなれば、これにて、御免」という「俊寛」の一節は近づく死を意識して訣別を告げる意味合いを持っていたのだろうかと疑うとともに、槙山光太郎が仙台時代に謡曲を覚えたのは、幼い頃から謡曲に馴染んで育った苑子を思ってのことだということに気づく。

その後、須崎幸平が金沢を訪れ、吉松夫妻や苑子と共に槙山光太郎の墓参りをして、槙山光太郎の生き方を語り、槙山光太郎は無茶な生き方をしたが、その人間らしい生き方が実に多くの人との結びつきを生み、縁を結んだ人間の心の中に生き続けていること、槙山光太郎は、司法試験を通じて捨て身で自分と世の中とのかかわり合い(般若心経にいう「色」)を、それも求め続ける「色」の向こうが「空」であることを知りながら探りつづけ、「悉皆是夢」の境地に達していたことを告げる。

最後に場面は小説の冒頭に戻り、吉松教授が、誰もが口にする「あの生き方はできない」ということが槙山光太郎への絶大な賛辞であることに気づき、「槙山君、馬鹿げていたが、良くやったよ」と言ってやりたいと思いながら、息絶える。

2  以上に照らすと、本件小説は、吉松教授が、四高時代の指導生徒であった槙山光太郎の歩んだ生涯をたどり、一見特異な言動で周囲に迷惑をかけ続けた槙山光太郎の生き方の中に、幼少の頃から夕菅病院の院長の長男として医者になることを期待されながら、色弱という遺伝的負因のゆえに医者にはなれないという固定観念にとらわれ、立派な両親、夕菅という土地柄、夕菅病院の社会的地位にふさわしい、誇りある生き方をしなければという呪縛に苦悩しつつ懸命に生きようとして、司法試験の受験を通じて自分と世の中とのかかわり合いを捨て身で探り続けた姿を見出し、その人間らしい生き方が実に多くの人との結びつきを生み、縁を結んだ人間の心の中に生き続けていることを知る過程を描いたものである。

しかして、前記のとおり、吉松教授は被告高橋の四高時代の恩師慶松教授から発想された人物、槙山光太郎は水口啓から発想された人物であり、本件小説は両者を主人公として展開されるが、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件小説には、水口啓の父母である水口昇・早苗を素材とした槙山剛造夫妻、原告らを素材とした武部保雄・万里子夫妻、水口啓の妹鈴木洋子を素材とした八田千里、水口啓の韮崎中学の同級生で一高、東大医学部を出て三島市内で開業している岡本重幸医師を素材とした森岡松吉、水口啓の小・中学校を通じての同級生で、元新聞記者で評論家の澤英武を素材とした中沢、父親が韮崎中学の教師をしていた関係で幼小時を韮山で過ごし、小学生時代の水口啓やその父母を知り、生前の水口啓に再三勤務先の文部省を訪問されたことのある元文部事務次官の佐野文一郎を素材とした若槻、その後輩で元文化庁長官の鈴木勲を素材とした神崎、東北大学法学部教授、金沢大学学長を歴任した法学者の中川善之助を素材とした上川良次郎、慶松教授の妻幾多を素材とした吉松絹代、水口啓の韮山中学の同級生でその後四高に進学した杉山辰哉を素材とした田村(旧姓土居)則之らが、槙山光太郎の周囲に在って、その人生に影響を与え、あるいは光太郎から各種の迷惑をかけられながらもその生き方を見守った人物として登場し、重要な役割を演じている。

また、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件小説に登場する地名、場所等は、韮山が「夕菅」、小坂が「小谷地」と変えられているほかは、伊豆、三島、大仁、長岡温泉、狩野川、金沢、仙台、四高、東北大学、三島の龍澤寺、修善寺など、すべて実際の地名等が用いられており、「夕菅」も、周囲の実名の土地や場所との関係や描かれた地理的・歴史的状況等から、伊豆地方を知る読者には韮山であることが容易に看取できるものと認められる。

しかし、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件小説で槙山光太郎の人に知られなかった内面を明らかにし、その生き方の真実の姿を解明するために極めて重要な役割を果たすものとして登場する服部苑子(新聞小説では「その子」)、吉松や苑子が理解し得た槙山光太郎の人間像を確信に変え、その生き方に真の救済を与えるために登場する須崎幸平は、いずれも被告高橋が文学的想像力によって創作した人物であることが認められる。

四  小説と名誉毀損・プライバシー侵害

実在の人物を素材としており、登場人物が誰を素材として描かれたものであるかを特定できるような小説のうち、いわゆる暴露小説、実録小説のように、実在する、あるいは実在した特定の人物の私行を探り出し、これを公開しようとする意図の下に書かれたものや、小説の筋又は骨格が終始実在人物の行動や性格に沿って展開され、しかも、作者が、一般読者をして実在人物を想定し得ないよう、あるいは実在人物を想定しても実在人物とは異なる人格であると認識し得るような配慮をすることなく、実在の人物に依拠し、その知名度等を利用する場合(いわゆる伝記小説、ノンフィクション小説はこれに属する。)には、一般読者が容易に実在人物を特定でき、その人物の行動や性格を如実に描いた物語として受け取ることが明らかであるから、その小説に実在人物の名誉を毀損し、あるいはそのプライバシーを侵害するような描写がある限り、直ちに不法行為としての名誉毀損ないしプライバシー侵害の問題を生ずることは明らかである。

しかし、実在の人物を素材としており、登場人物が誰を素材として描かれたものであるかが一応特定し得るような小説であっても、実在人物の行動や性格が作者の内面における芸術的創造過程においてデフォルム(変容)され、それが芸術的に表現された結果、一般読者をして作中人物が実在人物とは全く異なる人格であると認識させるに至っている場合はもとより、右の程度に至っていなくても、実在人物の行動や性格が小説の主題に沿って取捨選択ないしは変容されて、事実とは意味や価値を異にするものとして作品中に表現され、あるいは実在しない想像上の人物が設定されてその人物との絡みの中で主題が展開されるなど、一般読者をして小説全体が作者の芸術的想像力の生み出した創作であって虚構(フィクション)であると受け取らせるに至っているような場合には、当該小説は、実在人物に対する名誉毀損あるいはプライバシー侵害の問題は生じないと解するのが当然である。けだし、右のような場合には、一般読者は、作中人物と実在人物との同一性についてさほどの注意を払わずに読み進むのが通常であり、実在人物の行動ないし性格がそのまま叙述されていて、それが真実であると受け取るような読み方をすることはないと考えられるからである。

五  本件小説と名誉毀損・プライバシー侵害

1  これを本件小説についてみるに、本件小説は、前記認定のような主題とそれを支える構成の下に、槙山光太郎の苦悩に満ちた生涯とその真実の姿を探ろうとした教育者吉松教授の足跡を、実在の人物から構想した槙山剛造夫妻、武部保雄・万里子夫妻、森岡松吉、中沢、若槻、神崎、上川良次郎、吉松絹代ら槙山光太郎の周囲に在ってその人生に影響を与えあるいは光太郎から各種の迷惑をかけられながらもその生き方を見守った人物や、槙山光太郎の人に知られなかった内面とその生き方の真実の姿を伝えるために被告高橋が創作した想像上の人物である服部苑子らとの絡み合いの中でたどったものである。本件小説には、被告高橋が伊豆の現地に赴くなどして取材したところから知り得た水口啓の行動・性質やその生涯に実際に生起したエピソードが随所にちりばめられているものの、それも、被告高橋の内面における芸術的創造過程において、前記主題に沿って取捨選択ないしは変容され、事実とは意味や価値を異にするものとして作品中に表現されているし、証人旭太四郎、同澤英武、同佐野文一郎、同岡本重幸、同杉山辰哉、同慶松幾多の各証言によれば、本件小説中に描かれた槙山光太郎や吉松教授の行動・性格は現実の水口啓、慶松教授のそれとは大きく異なっていること、澤英武、佐野文一郎、岡本重幸、杉山辰哉、慶松幾多を素材として描かれた中沢、若槻、森岡、田村(土居)、吉松絹代の行動等も実在人物のそれとは相当異なっていることが認められる。また、本件小説に描かれた武部保雄・万里子夫妻の行動・性格に原告らのそれとかなり異なっている点があることは、原告ら自身が「虚実ないまぜに」されていると主張していることに照らしても、また、例えば、武部万里子が吉松教授に槙山光太郎の訃報を送った事実や万里子が夫と共に槙山光太郎の死亡現場に赴いた事実(「訃報」の章)が実際には存在しないことなどに照らしても、明らかである。さらに、被告高橋が芸術的想像力を駆使して創作した服部苑子、須崎幸平が本件小説において極めて重要な役割を演じており、槙山光太郎が色弱であることを両親が知らなかったという事実(「使者」の章)や、槙山光太郎が死を前に修善寺の旅館の浮舞台で謡曲「俊寛」を舞う場面(「独白」の章。単行本化に際して付け加えられた。)など、被告高橋が芸術的想像力によって創作した事実が、槙山光太郎の苦悩に満ちた人生を物語る上において極めて重要な役割を果たしている。

以上のことからすると、本件小説は、実在の人物を素材としており、登場人物が誰を素材として描かれたものであるかが一応特定し得るような小説ではあるが、実在人物の行動や性格が作者の内面における芸術的創造過程においてデフォルム(変容)され、それが芸術的に表現された結果、一般読者をして作中人物が実在人物とは全く異なる人格であると認識させるに至っており、また、実在人物の行動や性格が小説の主題に沿って取捨選択ないしは変容されて、事実とは意味や価値を異にするものとして作品中に表現され、あるいは実在しない想像上の人物が設定されてその人物との絡みの中で主題が展開されているため、一般読者をして小説全体が作者の芸術的想像力の生み出した創作であって虚構(フィクション)であると受け取らせるに至っており、かかる小説を読む一般読者は、作中人物と実在人物との同一性についてさほどの注意を払わずに読み進むのが通常であり、実在人物の行動ないし性格がそのまま叙述されていて、それが真実であると受け取るような読み方をすることはないと考えられるから、本件小説については、実在人物に対する名誉毀損あるいはプライバシー侵害の問題は生じないものと解するのが相当である。

2  原告らは、本件小説は、あえて探索考証しなくても実在の人間を少しでも知る者にはモデルが誰であるか一読して特定了解できるモデル小説であり、実名を使ったのと同視できる水口啓の伝記小説の一種であると主張するが、かかる主張が理由のないことは、前記説示したところに照らして明らかである。

3  なお、原告らは、被告がことさらに読者の興味や好奇心をかき立てるように本件小説にモデルがいることを宣伝したと主張する。

甲第一号証、第三号証、第四号証の一ないし四、第二五号証、第四五号証、第四七号証の一、二によれば、本件小説の高知新聞への連載開始に先立つ同新聞紙上の予告記事の中に、「今回の小説は、昭和ひとけた世代が主人公です。故人となった作者の友人をモデルに激動の時代を描く、いわば『人生劇場現代版』ともいえるもの」という文言が掲載されていたこと、本件小説の単行本の宣伝としては、昭和六三年の新聞紙上に「人生の輝ける落伍者の生涯を描く感動の青春小説」「司法試験20回不合格の記録を作った奇行・反骨の男・槙山光太郎。常軌を逸した行動の底に潜む人間心理の闇。金沢・伊豆を舞台に、教師と生徒、家族の絆を描く」という広告が掲載されたこと、本件小説の単行本の帯文には、昭和六三年の第一刷では、「金沢・伊豆を舞台に描く、人生の輝ける落伍者の生涯」「司法試験20回不合格の記録を作った奇行・反骨の男の真実に迫る感動の青春小説」、平成元年の第六刷では、「第一回柴田錬三郎賞受賞作」「司法試験20回不合格の記録をつくった奇行・反骨の男の苦悩に迫る感動の青春小説」、同年の第七刷から翌年の第九刷では、「金沢・伊豆・仙台を舞台に描く、人生の輝ける落伍者の生涯!」「司法試験20回不合格の記録をつくった奇行・反骨の男の苦悩に迫る感動の青春小説。」なる記載があり、さらに、平成三年以降に刊行された文庫本の帯には、「破滅的に生きる教え子の謎を四高時代の恩師が突きとめる。感動の名作長編」と「他人から非難されても不器用な生き方を貫いた男。柴田錬三郎賞受賞作品」との記載がされていたことが認められる。

しかし、右のような広告や帯文等の記載をもってしても、読者をして本件小説の登場人物のモデルについて詮索的な興味を引き起こすような宣伝が行われたとは認められないから、原告らの主張は採用できない。

4(一)  ところで、本件小説においては、韮山を「夕菅」と、小坂を「小谷地」と変えたほかは、実際の地名等が用いられており、「夕菅」も、周囲の実名の土地や場所との関係や描かれた地理的・歴史的状況等から、伊豆地方を知る読者には韮山であることが容易に看取できるものであることは、前記認定説示のとおりである。

被告高橋本人尋問の結果によれば、原告治子から得た本件小説執筆についての了解の条件が韮山の地名を使わず人名についても仮名を用いることであったので、それを守ったと述べており、「夕菅」を用いたのは、韮山が夕菅すなわちキスゲの自生しない土地であることを念頭において、韮山のことを書いたものではないことを表そうとしたものであると述べているが、前記のように、伊豆地方を知る読者には韮山であることが容易に看取できるのであるから、原告らに対する配慮に不十分な面があったことは否定できないであろう。

もっとも、前記認定のとおり、被告高橋は、韮山が村でありながら県立の旧制中学をもち、文化的雰囲気の中で多くの文人・知識人を輩出した土地柄であり、水口啓の人格が右のような韮山の風土の中で培われた側面のあることに強い文学的刺激を受けたのであって、被告高橋にとって、韮山を描くことは文学的必然性であったということもあながち否定できないところである。

(二)  しかし、伊豆地方を知る読者には本件小説の舞台が韮山であることが容易に看取できることに加えて、本件小説の単行本が刊行された直後の昭和六三年六月一一日、韮山を含む中伊豆地方で刊行されている伊豆日々新聞に本件小説の紹介記事が掲載され、「韮山の名家の長男として生まれ、韮中学―四高―東北大と“エリートコース”を進みながら司法試験二十回不合格の“日本記録”を作った故水口啓(あきら)さんを主人公にした小説『名もなき道を』が講談社から出版された」として、水口啓の経歴を詳しく紹介した(甲第一三号証、証人野田悦基の証言。なお、右のような趣旨の記事が出ることは被告高橋にとって極めて遺憾なことであったため、被告高橋は、直ちに同新聞社に抗議文(乙第一号証)を送付している。)ことも与かって、韮山町及びその近辺に古くから居住していて生前の水口啓を知っている者、旧制韮山小・中学校の卒業生で生前の水口啓を知っている者や韮山病院の関係者、原告らの近親者・友人らを中心に、本件小説は水口啓及び原告らを描いたモデル小説又は伝記小説であるとの理解が広まったことが認められる(甲第一四、第一五号証、第二二ないし第二四号証、第三八ないし第四一号証、第四八号証の一、二、第六一号証、第六七ないし第七〇号証、原告佐山治子本人尋問の結果)。

もっとも、本件小説は、一般読者をして小説全体が作者の芸術的想像力の生み出した創作であって虚構(フィクション)であると受け取らせるに至っている作品であり、一般読者は、作中人物と実在人物との同一性についてさほどの注意を払わずに読み進むのが通常であり、実在人物の行動ないし性格がそのまま叙述されていてそれが真実であると受け取るような読み方をすることはないことは、前記説示のとおりであるから、本件小説を水口啓及び原告らを描いた小説であるとしてそのモデルを詮索するような読み方は、一般的なものとはいい難い。

しかし、ごく限られた範囲の読者ではあっても、右のような読み方をする読者があることを否定することはできないので、これを前提に、名誉毀損及びプライバシー侵害の成否を判断しておくこととする。

(三)  原告らは、韮山医院の沿革、水口啓の死亡と葬儀、水口啓の七回忌について原告らがとった態度、水口啓の墓及び町長選、原告らの人物像に関する本件小説の記述により、原告らの名誉が毀損されたと主張する。

しかしながら、これらの事項に関する本件小説の記述が何ら原告らの社会的評価を低下させるものではないことは、被告らの主張するとおりである。本件小説においては、武部夫妻の生き方は、槙山光太郎の寄矯、特異な言動や槙山家及び韮山医院の正当な後継者は自分であるとの光太郎の不当な言い分にも耐えて、その生涯にわたり生活の面倒を見続けた美談として、総じて好意的かつ同情的に美しく描かれているものと認められる。

したがって、前記のような読者を前提にしても、本件小説による原告らの名誉毀損が成立するとは到底認められない。

(四)  次に、プライバシー侵害の成否について考えるに、原告らがプライバシー侵害を主張している事項のうち、原告らの学歴、原告らの結婚の経緯・原告らが妻の氏を称する婚姻をした事実、韮山医院開業の経緯・財産関係、原告治子の両親の出自・経歴・結婚の経緯等の事実は、一般人の感覚を基準にする限り、他人に知られたくない事柄であるとは認められないから、プライバシーの侵害には当たらないものというべきである。また、原告らの人間像に関しては、前記のとおり、本件小説における武部夫妻の人間像は総じて好意的かつ同情的に美しく描かれているのであって、このような記述が原告らのプライバシー侵害に当たるとは考えられない。

しかし、水口啓の色覚異常(色弱)の点については、色覚異常に対する社会の偏見は次第に改善されつつあるとはいえ、未だに根強く残っていること、色覚異常が遺伝することは公知の事実であり、他方、原告らの家計は医師を輩出しており、原告らには未婚の娘があること(原告佐山治子本人尋問の結果)などからすると、一般人の感覚に照らし、他人に知られたくない事柄に属するものというべきである。また、水口啓が温泉ホテルの風呂場で変死した事実についても、その親族とすれば一般に知られたくない事柄であるというべきである(原告佐山治子本人尋問の結果によれば、水口啓の変死の事実は、当時一般には報道されなかったことが認められる)。

ところで、小説中に実在人物のプライバシーに属する事実が記述されている場合であっても、その事実が当該小説の主題及びこれを支える構成上不可欠であると認められ、かつ、表現の方法・内容において秘事のあからさまな暴露とならないような慎重な配慮がされており、小説全体としても作者の芸術的想像力の生み出した創作であって虚構(フィクション)であると認められるときには、プライバシー侵害としての違法性を欠くものと解するのが相当である。これを前記各事項についてみるに、本件小説においては、槙山光太郎が色弱であったことは、幼少の頃から夕菅病院の院長の長男として医者になることを期待されながら、色弱という遺伝的負因ゆえに医者にはなれないという固定観念にとらわれ、また、自分が色弱であることを明かすことは両親を傷つけることになるとして苦しんだ、槙山光太郎の苦悩の人生を描く上で不可欠な事実であったと認められるし、また、槙山光太郎の死をめぐる事情についても、二日二晩飲み通し泥酔した上風呂に入ったために心臓麻痺を起こしたためであるとされ、同人が死を前に謡曲「俊寛」を舞ったという虚構のエピソードと併せて、槙山光太郎の生きる苦悩ないし死に臨んだ心境を描く上で不可欠な事実であったと認められる。そして、甲第一号証によれば、本件小説においては、これらの事実の叙述の方法・内容において秘事のあからさまな暴露とはならないよう慎重な配慮がなされていること(特に色弱の点については、現在では色弱であることが社会的に不利な事情ではないことが、吉松教授と服部苑子の会話の形式で示されている。)が認められるし、本件小説が全体として虚構(フィクション)であると認められることは、繰り返し説示してきたところである。

したがって、本件小説において槙山光太郎が色弱であったこと及び同人の変死の事実を記述したことは、原告らに対するプライバシー侵害の違法性を欠くものというべきである。

六  結論

以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本件請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官魚住庸夫 裁判官志田博文 裁判官市川多美子)

別紙1ないし5〈省略〉

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